福神漬の由来
福神漬はいろいろな野菜が入っていることから七福神に因んで明治の中頃、当時の流行戯作者・梅亭 金鵞師匠によって命名されました。上野の池之端にある老舗・酒悦が元祖だと言われています。命名されたのは明治ですが、福神漬の起源は江戸時代初期にさかのぼり、海運や治水事業で名の知られる河村瑞軒が伊勢から江戸へ出て下働きしていた若い頃、茄子やきゅうりなどの野菜が沢山精霊流しと一緒に川に浮かんでいるのを拾い上げ、混ぜ合わせて塩に漬けたところ、なかなか良い風味に出来上がり、近くの工事人に売ると、大人気で、これが瑞軒の商売の始まりだったそうです。やがて、この原型を上野・池之端のある茶店がお茶請けやおつまみに調味液などを工夫。作り上げたのが福神漬です。大繁盛したこの店の店主が酒悦初代・清兵衛ということです。福神漬はべったら漬とともに江戸の名産品といわれる所以です
カレーに福神漬は何故か
インドのカレーに加えられている「チャツネ」(果物や野菜をすりつぶしてスパイスで煮詰めたペースト状の調味料。味は甘・辛種類豊富)にヒントを得たもの。この代用として、日本郵船の欧州航路で福神漬を混ぜたのが始まりと言われています。当初は付合わせでなく、カレーに混ぜて用いられました。その後もらっきょう漬やハリハリ漬等甘い漬物がカレーの添えものとして活用されていますが、やはりカレーと福神漬は日本の誇る黄金コンビですね。
なぜ、ナタ豆が入っているか。
誰が一体、この硬いものを福神漬に入れたのか定かではありませんが、ナタ豆を切った形が、縁起のいい七福神の「布袋様」が持っている軍配の形に似ていることから採用されたという説があります。さやが刃物の鉈(ナタ)に似ていて長さ30cm、横幅5cmにもなる硬い豆科植物です。徳島県を主体として、唯一福神漬のために栽培されています。
福神漬と健康
福神漬は、多種な野菜を漬物にしたビタミンの宝庫です。野菜を漬物にすることによって、健康を害するアク(乳酸菌等)が抜けて、その豊富な野菜の持つビタミンを失わずに摂取することが出来るのです。また食物繊維の宝庫でもあり、腸を活性化させ糖尿病、心臓病、ガン、肥満、高血圧、便秘、胃腸病などいわゆる文明病への予防効果があります。
福神漬の原料
福神漬は大根、茄子、瓜、ナタ豆、しその実、生姜、レンコン、胡麻といった多種類の野菜を刻んだりしたものを漬け込んだ漬物であるため、メーカーによって野菜などの含有率が違ってきます。そこで福神漬けのJAS規格が以下のように定められています。内容重量300g超では原料野菜7種以上、固形物の大根占有率80%未満、内容重量の対する固形物割合75%以上、内容重量300g以上では原料野菜5種以上、固形物の大根占有率85%未満、内容重量に対する固形物の割合70%以上。糖用屈折計示度30度以上。全窒素0.3%以上。
福神漬は古漬中で最も知名度が高く生産量は6万tもあります。
色があかるいこと、甘味の強いことの2つが重要で大根、茄子、刀豆、蓮根、生姜、シソの葉、白ゴマの7種の原料野菜を使い砂糖、醤油類、酸からなる調味液に浸してつくります。食塩4.5%、醤油類10%、甘味度30%、酸0.4%、アルコール1%、化学調味料0.5%の呈味成分を製品中に含んでいて着色料は0.05%です。福神漬はカレーライスの付属品としてよく食べられ、これは本場インド料理の
チャッッネの代用として使われたのです。赤い色調の他にカレーライス福神という橙黄色のものもあります。
福神漬の種類
「福神漬」「特級福神漬」「カレー用福神漬」「カレー福神漬」などと企業によってネーミングはいろいろあります。ナタ豆、レンコンなど高級素材の含有率、調味液のグレードでネーミングや価格も違ってきます。
しその実、タケノコ、昆布を入れているのもあります。一般的な福神漬や特級と言われる福神漬は赤い色調が濃いのに対し、カレー用は橙色など色を抑えカレーの色にマッチさせています。昨今は安心・安全指向で無着色や、全てが国産原料をアピールした商品も登場しています。
製造メーカー・出荷額・数量概要
東京に限らず、昔は全国的にかなりの業者が製造してきましたが、今は全国に50社程度と少なくなりました。作業効率、需要の安定性などの観点から、機械化が進み、合理化された東海漬物、新進といった大手メーカーの得意ジャンルで集約化が進んでいます。カレーライスは子供から大人まで日本中で愛されている食品。その付随品として安定した需要が見込めそうです。家庭用需要の他に外食レストランやカレー専門店など業務用(30%程度と推定)に多く使用され、量は6万t、メーカー出荷で160億円程度と推定されます。
福神漬に入っている《なた豆》
今では福神漬の原料か健康食品として食べられている《なた豆》は福神漬にはどういうわけか最初から七種類の中に入っていました。また七種類の野菜は上野池之端付近で手に入るものでした。初期の頃は今では貴重なマツタケが入っている物もありました。
江戸時代は江東方面で栽培されていましたが平成の現在では漬物原料として中国湖南省劉陽地区で栽培されています。
農業全書 宮崎安貞 岩波文庫
なた豆。
是を刀豆と名付けることは、剱の形に似ている故である。三月初に植え、灰で覆い、古い莚(むしろ)ぎれ、其何でもよいが此類のくさり物など覆いを置くとよい。
又播種の仕方。冬より穴をほり、肥え土を入れ置き、春になって一粒づゝ目の方を下にして植え、少し土をかけ、灰にて覆い、土を多くかけず、其上に古いざうり(草履)の類、何か軽い物を覆い置き、五七日の後は取り去ってよい。芽が出た後、根葉が少し生ずるのを見て、糞水(肥)をそゝき、つるが長くなるのを待て、竹を立て、是にまとはわせ、又籬をゆひ、かきにするもよし。風で動かぬよう様につよくすべし。動けば多く実ならず。是又肥地に糞を多く用いれば過分に実なる物なり。後略
『増補 俳諧歳時記栞草(下)』岩波文庫
刀豆:中国明朝時代の李時珍曰く、莢(さや)の形を以てこの名を命名された。思うに、酉陽雑俎(ゆうようざっそ)の選者段成式が言うには、楽浪(今の朝鮮半島の平壌付近)に挟剣豆という豆がある。莢(さや)、横に斜にして人の剣を挟めているようである。即(すなはち)此豆なり。三月に種をまく。蔓が生じ、育って一ニ丈(一丈は約3mなので36mとなる)。葉は(さやえんどう)の如くにして稍(ちと)は長大である。五六月紫花をひらく、蛾の形のごとし。莢を結ぶと長いものは尺(約33cm)に近い。微p莢(ちと=さやがさいかち)に似ている。扁(ひらたく)して剣脊(しのぎ)三稜(三角形)、宛然たり(そっくりそのままである)
中国明朝の李時珍の本草綱目から。
言葉尻からみると「なた豆」は剣・刃物に例えられている例が多い。
共古随筆 山中共古著 なた豆
1850−1928 最後の幕臣の一人であり、のち、キリスト
宣教師となる。本名、山中笑。
明治時代の考古学、民俗学、江戸学の先駆者と知られている。
なた豆のあと先を切らず、そのまま糠に漬け置けば、盗人その家へ入る事なしと伊勢津の婦人に聞くと、同地に行った人の話。
早打肩という急病起こるときに、何の棒にてもナタマメ刃豆と言って、それにて肩を打つと直すと言うと。
刃豆を食べると、肩がこらぬという。(江戸)
早打肩とは肩が急に充血して激しく痛み、鼓動が早くなり人事不省におちいる病気。
刃豆は切ると一の字形になるものにて、旅立するときに食するものと、どれに行きて一のものになるという。(御進発の時多くこれを食し旅立しと『おき』の話)刃豆は下より裂きき始め上まで登り、また下りて花を咲き出すものゆえ、旅立ちする者登降無事に行く、刃豆の花の如くを祝意して、これを食し出立するものと聞く。
江戸時代吉原にて遊女を買う時は、まず刃豆を食べさせて、しかるのちに価を定めると。それは癇癪(かんしゃく)性の有る者は直ちに病発するという。
何事か掛け合い等に行くとき、先方へ対し引けをとらぬ咒(まじない)とて、刃豆を食べてゆけば必ず負けぬと、大阪の老婆の話。(氷屋の婆さん、阪地九条のあたりの者なり) |