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会社設立期の状況

昭和4年10月24日、ニューヨーク株式市場の相場の大暴落に端を発した世界恐慌は、日ならずしてわが国を巻き込んだ。わが国の経済は、その2年間に起きた金融恐慌で、すっかり疲弊しきっただけに、この世界恐慌は応えた。農村の不況は、とりわけ深刻を極めた。農作物の価格は大暴落し、さらに東北地方は長引く不況に冷害と凶作が追い打ちをかけた。
 各県の行政当局は、農家の現金収入を図るため、漬物の製造を推奨した。それは東京の隣接県に於いても変わりなかった。
 昭和9年当時、東京府内で、漬物の製造販売に従事するものは1500名を数え、年間の売上高は345万余円にも及んだ。そして、その半数以上を占める沢庵は、俗に“東京沢庵”と呼ばれた。そもそも沢庵は、徳川三代将軍家光の世に、品川東海寺の沢庵禅師が作り始めたと伝えられたので、東京は沢庵発祥の地とされていた。東京府下の特産として浅草海苔に次ぐ重要物産であった。
 昭和8年に練馬大根に大根モザイク病が発生し、さらに病虫害が追い打ちをかけた。

昭和7年 東京
 四十五万五千タル 価格 六拾八万円 1タル約60キロ 1タルあたり 約1円50銭

昭和8年 東京
 十二万五千タル 価格百二十五万円 1タル約60キロ 1タルあたり 約10円 価格の上昇

 このとき東京の農民は被害の為に肥料代もまかなえず、東京の漬物業者は沢庵原料の価格の高騰に苦しんだ。翌年、つまり昭和9年になると、被害の出ていない各県は沢庵を価格の高騰している東京に出荷してきた。伊勢、阿波、愛知の関西筋はもちろん、わずか2年ぐらい前から出荷してきた長野県等による大量出荷によって沢庵の価格は暴落し、高騰した沢庵を抱えた業者は倒産し、あまりの価格暴落は業者内の不当なる競争を招いた。粗製濫造による品質の低下、量目不足を招いた。
 県外からの安い製品に対抗して、不当な価格競争に明け暮れた東京の漬物業界は早急な体質改善と信用の回復を迫られていた。
 これより前から東京市(都制は昭和18年)は漬物業界の動向に深い関心を寄せていた。当時は今と比較にならないほど東京の農業人口は多かった。たまたま、卸売市場法が公布されるのを機に東京市当局は、その管理下にある中央卸売市場(築地)内に漬物の荷受機関を設置することを決定した。
 こうして、昭和9年12月25日、東京市長の認可を受けて東京中央漬物株式会社が設置された。
 昭和9年当時も平成の現在も当社は漬物に対して安心、安全、正しい価格形成、速やかな代金の決済、安定供給の確保が求められているのである。