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会社設立時の状況

【歴史】
  鎌田宗明
  『炎の如く永遠に』より 大正12年9月、関東大震災が発生し東京の下町は焼失したが、その頃東京市長(当時は東京は市制)後藤新平氏の英断で折から制定された中央卸売市場法に基づき、東京市内に築地、神田、江東、千住、淀橋の5ヶ所に市場が設置され、それまで散在していた各所の青果市場が綜合され前記の五中央卸売市場に収容されることとなった。
 この中央卸売市場法に基づく営業形態は、荷受、仲買、潮待茶屋及び付属商であった。そして漬物関係者は何れも仲買人となり、その仲買人が協議を重ねて、漬物専門の荷受機関を設置することとなり、築地市場では東京中央漬物株式会社、神田分場では東京漬物株式会社を設置し、それぞれの市場に属した仲買人が株主となって、初めて会社組織の漬物荷受機関が出来たのである。
 かくして一人前の漬物会社が築地と神田の二ヶ所に誕生し、営業を開始したが、株主たる仲買人は奈良漬業者と沢庵漬業者に大別され、それぞれの製造所を自己経営して製品を生産し優劣を競争していたが、荷受機関として中央漬物が設立されてから市場法によって自己の製品を競売にかけて(中央漬物に出荷した上)自分の製造した奈良漬、福神漬を一応中央漬物を通してセリ落とし、仲買店に運んで始めて卸売りする形をとったが、これで中央漬物が商品管理と手数料収入を上げることで経営が成り立っていた。
 けれどもそれぞれの仲買店は自己の製品を他の仲買店に安くセリ落とされてはマヅイので高値をつけてせり落とし、3%の手数料を中央漬物に払って現品を引き取っていたが、これでは無理があるとして自己の製品を直接自己の仲買店に運び入れて、直接卸売りを開始した。これでは中央漬物が成り立たないということで3%の手数料の代わりに1%の搬入手数料(市場内への持ち込み手数料)を支払うことに協定し、その後は各製品とも搬入手数料を中央漬物に収めてから販売したものである。
 その当時の販売品目は奈良漬、みそ漬、福神漬、しょうが漬、楽京漬、からし漬及びべったら漬等であった。

参考:
潮待茶屋とは今の配送業者のこと 仲買人から買った荷を各地に発送するところを茶屋と呼ぶ
神田分場とは築地市場が本場であったため神田は分場だった。

【沿革】
昭和9年12月 昭和6年6月,東京都(当時は東京市)に卸売市場法が公布され、同時に漬物の荷受機関を設置することになり、日本橋から現在の築地に市場が移転、資本金32万円で会社創立。
初代社長は飯田松次郎。
昭和12年6月
初代社長飯田松次郎死去に伴い,二代社長は飯田東吉が就任。
昭和16年9月 戦時色が強まる中で、時代は統制経済に移行。農林省は、中央卸売市場の仲買制度の撤廃を通告。このため、当社は大幅の減収を免れず、大きな影響を受けた。
昭和20年6月 太平洋戦争突入後の、連日連夜の空襲により休業状態におちいり、東京漬物荷受機関へ合併される。
昭和21年5月 休眠会社扱いの東京中央漬物株式会社営業を開始。
昭和23年2月 東京都庁より正式に漬物荷受機関の認可を受ける。
三代目社長坂口武人が就任。
昭和26年10月
事業発展に伴い資本金100万円とする。
昭和28年2月 事業発展に伴い資本金200万円とする。
四代目社長吉川亀之助が就任。
昭和29年5月 事業発展に伴い資本金300万円とする。
昭和31年8月 事業発展に伴い資本金400万円とする。
昭和45年7月 五代社長榎坂覚也が就任。
昭和51年5月
事業発展に伴い資本金800万円とする。
昭和60年7月 事業発展に伴い資本金1,600万円とする。
昭和62年1月 六代社長中村忠重が就任。
平成元年4月 海外事業部が発足し、本格的な漬物原料の取扱いを始める。
平成8年5月 事業発展に伴い資本金3,200万円とする。
平成18年11月 七代社長皆川昭弘が就任。
平成19年10月 全国漬物(株)から社員9名合流する。